06-スピリティスム

スピリチュアリズムには双子の兄弟がいる。それは、フランスで誕生した「スピリティスム」である。スピリティスムは広義のスピリチュアリズムに含まれると見ることもできるが、中心的な主題にずれがあるため分けて考える立場もある。編纂者アラン・カルデック(一八〇四―六九)は、おそらくとりたてて別派を作ろうという意識はなかった。スピリチュアリズムではなく「スピリティスム」としたのは、前者が一般名詞であり、より明確に「霊の実在」を主張する意味があったからである。
アラン・カルデックは、本名をイポリット・レオン・ドゥニザール・リヴァイユといい、リヨンのブルジョワの家に生まれ、科学、医学、哲学などを学んだ後、スイスの著名な教育学者ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(一七四六―一八二七)のもとで弟子兼協力者となる。その後フランスに戻って私塾を開設したが、財政は逼迫し会計事務などで糊口をしのぐ時期もあった。その後生活は改善し一八三一年には教育関係の論文で王立アカデミーから賞を得ている[カステラン、一九九三年、五〇~五一頁]。
一八五〇年代になると、フランスにもスピリチュアリズムの波が押し寄せるようになり、五四年、彼は友人が開いている交霊会に参加した。そして「複数の霊媒」から得た「複数の霊」の霊信をもとに、一八五七年四月、『霊の書』[カーデック、一九八六~七年]を刊行する。
このあたりの詳しい経緯については情報が錯綜している。友人の娘二人が霊媒となったという説もあれば、セリーナ・ジャフェという霊媒の自動書記と、ヴィクトリアン・サルドゥー主催の交霊会での通信によるという説もある[Fodor, 1933, p.188]。
『霊の書』は四部にわたる大著で、内容もきわめて広汎で網羅的である。ラップ音による交信ではとても得ることのできない内容で、霊媒の入神談話ないしは自動書記がもとになっているはずである。それでもわずか二年ほどでこれだけの書物ができることは驚異的である。通常のスピリチュアリズムでは、情報を得た際の経緯――時、場所、霊媒、方法、発信者(霊)の身元など――が詳しく報告されるものであるが、こういった情報が欠けている(発信者については、福音書記者ヨハネ、アウグスティヌスといった華麗な名前が挙げられているが、身元確認がされたことは記されていないし、どの部分が誰のものなのかもはっきりしない)。このことはスピリチュアリズムから見れば不満なところだとも言える。
カルデックは霊媒ではなく、情報を収集し、分類し、体系づけた「編纂者」である。ただし、霊的な教えを広める特別な使命を持っていると霊から告げられ、そのための筆名としてこの名前(前世、ドリュイド僧であった時の名前)をもらったと言う。
カルデックは精力的な活動家で、一八五八年四月には「パリ・スピリティスム学会」を設立、「ルヴュ・スピリット」を創刊し、一八六一年には『霊媒の書』、六四年には『天国と地獄』、六七年には『創世記』と続編を次々に出版した。
カルデックの本や活動は、ヨーロッパの中ではきわめて早いものであったが、不思議なことにイギリスでは受け入れられなかった。当時のイギリス・スピリチュアリズムは現象の追求と検証が主で、カルデックの体系はあまりに宗教的に映ったのかもしれない。またカルデック自身は物理的心霊現象にはほとんど興味を示さなかったという。
しかし、両者の間で最もはっきりした対立があったのは、「再生(生まれ変わり)」問題をめぐってであったことは疑いない。「人間の魂は死後も存続する」というのがスピリチュアリズムの第一命題であったが、「再び現世に戻ってくる(ことがある)」という主題は、米英の全盛期スピリチュアリズムにはまったく出てこない。インド思想を取り入れた神智学がさかんに再生問題を説くようになったのは一八七〇年代末のことで、カルデックの方がはるかに早い。イギリス・スピリチュアリズムが再生を認めるようになったのは、マイヤーズ通信、シルバー・バーチの霊信など、いずれも二十世紀に入ってからのことであり、それまでは「再生説は迷妄」という考え方が主流であった【6】。
再生説はキリスト教にとっては天敵であるため、忌避反応を回避すべく霊の側が口をつぐんでいたという見方もあるが、カトリックの力が強いフランスでまず公言されたということは、不思議である。こういう齟齬が生じている以上「霊からの情報」の信用性は疑わしいと見る人もいるが、そのことについては後に改めて見ることにする。ただ、再生問題は非常に難解で微妙な扱いを要するものであることは指摘しておきたい。
なお、フランスには、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、サイキカル・リサーチの欧州全体への拡大に伴って、シャルル・リシェ、ギュスターヴ・ジュレといった著名な研究者が出ているが、彼らより早く心霊現象研究を始めたド・ロシャス(一八三七―一九一四)が、カルデックの再生説の影響を受けて「前世退行催眠」を試み、百数十年後のブームの先取りをしていることは注目すべきことである[Fodor, 1933, p.332, スティーヴンソン、二〇〇五年、一〇七頁]
スピリティスムはその後、スピリチュアリズムと同様、運動としては下火になっていくが、カルデックの体系化した「教義」は国を越え意外なところに飛び火していき、二十世紀の南米で驚異的な発展を遂げることになる。

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