12-「中間世」問題

さらに、前世療法は意外な方向への発展を見せる。それは「中間世」と「超越的存在者」の問題である。
中間世(中間生とも。interlife, between-life)とは、一つの人生が終わって、別の人生へと生まれ変わるまでに、留まる世界だとされている。前世を想起しているクライエントは、死の次の瞬間、魂が肉体を離れ、光に吸い寄せられるように上昇し、きわめて心地よい、輝きに満ちた世界に移行すると報告する。そこは地上といくばくか似ているが、はるかに素晴らしい世界であり、地上と同じような住人もいる。そしてそこには、次の生としてどのようなものを選ぶべきか、助言・指導してくれる「偉大な存在」がいるとも言われている。
この中間世問題をクローズアップさせたのが、ホイットンの研究である。
ホイットンは多くのクライエントの報告を総合して、次のように説明する。中間世に移行した魂は、「裁判官」「ガイド」などと表現される高度な存在に出会い、今過ごしてきた一生を回顧し、省察する。そして、「どのようなカルマの負債があるのか、またどんな点を学ぶ必要があるのか」を自覚すると、さらなる成長を求めて、やはり高度な存在からの助言に学びつつ、次の人生を選択する。つまり、生まれ変わりの目的は、やりそこなったこと、失敗したことの「負債」を返し、さらなる「学び」をすることだとされているのである。
このような考え方は、ウィリストンにも見られる。彼もまた、生まれ変わりは魂の成長と進化のためにあると述べ、人生はそのための学校のようなものだと述べている。彼は次のようにも言う。「『生まれ変わり』を『進歩』そのものだと考えるのは、誤りです。『生まれ変わり』によって与えられるのは、『進歩の機会』にすぎません。『進歩』が約束されるわけではないのです。」[ウィリストン、一九九九年]
こうした考えは、ほとんどスピリチュアリズムそのものである。「中間世」は「霊界(地上に近い霊界)」であり、「偉大な存在」は「守護霊」そのものである(ただし「霊」という概念を避けようとして、それを「高位自己(ハイアー・セルフ)」といった曖昧な概念で片付ける研究者もいるし、中には「宇宙そのもの」などという突拍子もない解釈をする者もいる)。
この中間世の問題をさらに深く追究したのが、マイケル・ニュートンである。ニュートンは一九三二年生まれで、十五歳の頃から「催眠術の実験」を行なってはいたものの、カウンセラー・催眠療法士となった頃は「懐疑的な人間」で「行動療法の専門家」だったと言う。ところがクライエントからの要請で「過去世退行」を試みていくうちに、前世療法の持っている治療的効果と、その内容の豊かさに魅せられていった。そして一九八〇年代の十年間、ほぼ中間世問題にしぼって催眠セッションを行ない、それらの結果をまとめて二冊の本を刊行した[ニュートン、二〇〇〇年、二〇〇一年]。これは邦訳もされているが、ともに日本語版で四〇〇頁を超える、きわめて内容の豊かな本である。
ニュートンの報告する「中間世」情報は、スピリチュアリズムの霊界通信、とりわけ「マイヤーズ通信」として知られているものと、きわめて多くの点で符合する。「共通の目的に向けて協力しあい一緒に転生を繰り返す類魂の存在」、「他の魂に与えた苦痛を自らが再体験する因果応報の仕組み」「この世に似た別の現実的世界」「高次の霊的活動としての教育や創造」……。そしてニュートンは、これまでの霊信では伝えられていないような事柄にまで論及している。それらについては後に改めて見ることにする。
結論として言えば、ニュートンの収集した霊界情報は、スピリチュアリズムのそれを追認し、さらにその先を追究したものと言える。その意味で、中間世探究はスピリチュアリズムの新たな展開とも捉えられるのである【13】。
これらの「中間世探究」の知見は、実証という点では非常に弱い。「証拠があるのか」と問われれば、否と答えるしかない。しかし、スピリチュアリズムの様々な霊信と比較していくと、一定の信憑性が浮かび上がってくる。異なった情報源から同じような情報が上がった場合、その情報の信憑性は高まるものである。この意味でも「中間世探究」とスピリチュアリズムは、並行的に検証されるべきものだと言えるだろう。

もう一つ、中間世探究において、興味深い報告がなされている。それは、中間世を想起しているクライエントが、単なる「記憶の想起」ではなく、現在進行的な「中間世移行状態」になっていると思われることである。
日本の前世療法家、奥山輝実は、クライエントが中間世想起状態で、「光(高次の存在)」と対話し、自らの人生の意義を納得するというケースをいくつか挙げている[飯田・奥山、二〇〇〇年]。これは、「自分がかつて死んでいた時(中間世滞在時)に」そういうやりとりが行なわれたという記憶を想起しているのではなく、現在進行形で、今、対話がなされているように見える。「その『光』に聞いてみてください、何と言っていますか」とか「なぜそうなのか、聞いてみてください」というようにクライエントに質問をうながし、クライエントは現在進行形で答えを受け取っているように見受けられるのである。
「タエの事例」を報告した稲垣勝巳も同様のセッションを行なっているが、さらに驚くべきことに、この「偉大な存在者」がクライエントに「憑依」して、セラピストと直接対話するということが試みられている[稲垣、二〇〇六年、〓頁]。これはまさしく、霊が霊媒に憑依するのと同じ構造である【14】。この間のやりとりはクライエントの記憶に残らなかったと報告されているが、それはちょうどスピリチュアリズムの霊媒が、霊が憑依している間の記憶がないのと同じである。
このように見ていくと、一部の前世療法における「中間世」状態とは、クライエントが現在進行形で「霊界」とコンタクトして「守護霊」との対話を行なっている状況であるということであり、そして「守護霊」がクライエントに憑依して施術者と語るのは、「霊」が「霊媒」を通して会席者と会話をする「交霊会」と相同の構造となっていると解釈できるのではないだろうか。
とすると、この種の「中間世療法」は、もはや「前世のトラウマを探り出す云々」といったものではなく、「霊との交流」によってクライエントの状況を改善させる、まったく新たな方法なのではないかと考えられる。さらにこのことは、「霊界とのコンタクト」という、人類が古来求め、スピリチュアリズムもまた目指していたものが、催眠ということを通じても可能になるということを語っているのではないだろうか。少なくとも自らの「守護霊」とのコンタクトが可能になるのだとすれば、「中間世」催眠は重大な意義を含んでいると考えられる。

臨死体験も前世療法体験も、スピリチュアリズムと直接に関係するものではない。だが、それは実証とは別に、多くの人に魂の実在や霊的世界の体験を供給するものとなった。十九世紀のスピリチュアリズムは「霊媒による超常的な現象」によって、死後存続と霊の実在を明らかにしようとする一大ムーブメントだったが、二十世紀のこれらの動きは、「より多くの一般人の体験」によって、それを世に広めていく働きをするもだと見ることができる。あえて言えば、それは「新たな形式での霊界側の働きかけ」なのかもしれない。

【13】――これらの前世療法家が直接にスピリチュアリズムに言及することはない。実際に知らないのか、知識はあっても口外しないのかはわからない。
【14】――ワイスの『前世療法』の最後の場面でも、「偉大な存在者」がクライエントの口を借りて、治療者であるワイスへのメッセージを語る場面がある。ワイス、一九九六年。