18-回避圧力

一六〇年に及ぶ「霊の実在」「死後存続」の探究を駆け足で見てきたわけであるが、ここでその全体が指し示しているところをまとめてみる。
様々な出来事があったが、結局のところ、現代を支配しているのは唯物論である。もちろんその立場を取らない人は多くいる。正統的学識界から遠ざかれば遠ざかるほどその比率は増すようにも思える。しかし、現代の「知」を支配しているのは唯物論であり、霊の実在の立場は異端中の異端である。スピリチュアリズムの大潮流が唯物論を打倒し得なかったことは事実である。
確かに万人が認めるような「霊の実在証明」は得られていない。しかし、だからといって一六〇年の探究が虚妄であったということにはならない。「証拠」は充分にあるのである。
そもそも「霊の実在証明」に関しては、「何をもって証明とするか」という合意がない。スピリチュアリズムやサイキカル・リサーチの側からは、「飛び入り交信者」「交差通信」そして「応答性真正異言や先天性刻印」といった、かなり強力と思われる証拠が提出されている。超ESP仮説も棄却できたように思われる。しかし、唯物論の側はそれを認めていない(無視しているという見方も成り立つが)。ではどういう要件を満たしたら証明とみなすのかははっきりしていない。
霊魂実在派の中には、現在の科学理論や測定能力が発展していけば、何らかの「霊的実在」の把握は可能になるのではないかという楽観論を採る人もいる。だが、それはかなり疑わしいように思える。なぜなら、霊魂の次元の法則と物質の次元の法則とは、(少なくとも現世においては)かなり乖離している可能性が高いと思われるからである。
これは「(暫定的)二元論」となる。二元論はなぜか評判が悪い。二つの「元」の間の関係が解明できないではないかというのである。しかし、そもそも二つの「元」が統一的に把握できればそれは二元論ではあり得ないし、関係が解明できないからといって一元論が正しいことにはならない。「物質次元以外の現象は存在しない」という証明はなされていないし、全現象を一元的原理によって説明できるというのは知性にとっては理想かもしれないが、理想は必ずしも真実ではないし、仮に真実であったとしてもわれわれの未熟な知性でそれができるかどうかはかなり疑わしい。
二元論が成り立つのであれば、物質次元以外の現象を物質次元の証明方法によって証明することは、カテゴリー違反であり、そもそも無理があることになる。普遍的計測可能性とか、再現性とか、物質原理との整合性といった物質次元の証明方法は、次元の違うものには適用できない。
もう一つ言えば、「○○があるかないか」という判断は、科学の守備範囲ではない。科学はカラスがどういう生物であるかを観察することはできるが、「白いカラスはいるかいないか」を論じるのは科学の役割ではない。「ある条件設定の範囲では観測できない」と言えるにしても、それを敷衍して「実在しない」とは言えない。「心は観測できないが脳内電気信号は観測できる。したがって心は実在せず実在するのは脳内電気信号だけである」というのは、いささか乱暴にすぎる話である。

それにしても、一六〇年の探究が蓄積してきた知見は、あまりに無視されているように思える。それはごくわずかな人々を除いて、目を向けない。そして時折、同じような方向の探究が、まったくのゼロから始められたりもする(臨死体験研究がそうであったし、ニューエイジの「霊的探究」の多くもそのようである)。
ここには奇妙な謎が潜んでいるようにも思える。超常現象に関して多くの人に「心理的抵抗」のようなものがあることは前述したが、さらに死後存続問題に関しては、人々の目をそこから逸らせるような強力なバイアスが、なぜか働いているように見える[笠原、一九九五年]
こうした「回避圧力」は、反唯物論の陣営の探究にも働いているように思われる。神智学は霊魂実在説であるが、スピリチュアリズムの「露骨な死後存続情報」(死者との交信)を低俗なものとして斥け、神秘的宗教思想に向かった。シュタイナーになると霊界情報はほとんど扱わず、教育・芸術・農業といった方面の神秘技術が展開され、多くの人はそれに魅了されている。ユングはスピリチュアリズム現象に深くかかわっていたが、霊魂的な説明原理を回避して「集合的無意識」といった代替理論を構築した。ユングの影響を受けたトランスパーソナル心理学では、「宇宙意識との合一」といった、唯物論でも死後存続説でもない奇妙な概念を打ち出した。
この「回避圧力」はどこから来るのか。有史以来の人類史を見るとそもそも人間にそういう性向があるようにも思えるし(後に見るが仏教もキリスト教も霊魂説・死後存続説を影の薄いものにした)、近代というものを考えれば物質的発展という大潮流の圧力もあるようにも思える。
しかしひょっとすると、「霊界」の側もそれに荷担しているのかもしれない。「もし霊が実在しているのなら、それは非常に重要な問題なのに、なぜ霊の側は誰もが認めるような形でそれを証明しようとしないのか」という意見がある。これは反対派が揶揄するように言う場合もあり、また霊魂実在説を受け入れた人の多くが抱く疑問でもある。これに対して、「どうもそうするつもりはないらしい」あるいは「どうもそれは禁止されているらしい」という答えがある。詭弁に聞こえるかもしれないが、一六〇年の歴史を眺めてみると、その可能性も浮かび上がってくる。これについては、後に再び触れることにする。

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