09-情報的心霊現象

これに対して、情報的心霊現象の場合はどうか。
情報的心霊現象にも様々な形態がある。浮揚したテーブルが音を立ててイエス・ノーやアルファベットを指示したり、どこからともなく声が聞こえてきたり、石板やノートに直接字が綴られたり、といった、物理的心霊現象に近い形態もあるが、中心となるのは、霊媒がトランス状態で霊からのメッセージを語る「入神談話」や、やはりトランス状態の霊媒の手がメッセージを綴る「自動書記」である。
スピリチュアリズムのブームの中でも、「入神談話」は多くの霊媒によって実践された。特に死別した肉親との「再会」が実現し、慰めを得た人は多い。死別した愛する人から「私は健在です。あなたを見守っています」と告げられれば、感情的に動かされない人は少ないだろう。
もちろん、そこにはやはりペテンの入り込む余地がある。それが確かに死んだ人からのメッセージだと納得するためには、それなりの手続きが必要である。「あなたのお母さんですよ」と言われただけで信じ切ってしまう純朴な人もいるが、「本当にそうか」と疑う人は多いだろうし、疑う権利はある。悪質なペテン師に騙されないためには、いろいろと質問して、死者本人しか知りえない情報がそこにあるかどうか確かめてみることは、むしろ必須のことと言える。
次に引用するのは、創立直後のSPRで中核的存在としてESPや死後存続の研究に尽力したリチャード・ホッジソン(であると主張する霊)が、レオノア・パイパー夫人を霊媒として、ホッジソンの生前の親友ドール氏と会話をしたとされている記録である[レナード、一九八五年、一四二~一四三頁]。

(ドール氏が、ホッジソンが生前よく訪れたドール家の別荘を覚えているかと尋ねると)
霊――「覚えているとも。いつだったか、夜遅くまでいっしょに外出して、君のお母さんがとても心配されたっけ。(中略)それからお母さんがある日曜日の朝、僕を外へ呼び出して、使用人たちが軽四輪馬車で教会へ出て行くところを見せてくれたのも思い出すな……居間の暖炉が見えるよ。」
ドール――「どこで寝たか覚えているかな?」
霊――「中庭の向こうにあった小さな離れさ。そこでよくタバコを吸ったもんだ。泳いだりボートを漕いだり森を散歩したりしたことも覚えているよ。」
ドール――「どんな場所で泳いだと思う? 砂浜の沖かな、それとも岩の多い場所かな。」
霊――「岩の多いところだ。はっきり覚えているよ。今の僕にはその場所がそっくり見えるよ……君のお母さんの部屋についている小さなベランダや、そこから海に向けての素晴らしい眺めが今映っているよ。」

この霊による証言はすべて事実と符合し、特にベランダは、「母親と親しくした人にしか知られておらず、生活を共にした人でないと自然に思い出せる性質のものではない」とドール氏は証言したとされている。
このほかにも、語り口が生前のその人のものそのままだったり、死者と聞き手だけが知っていた秘密のニックネームや出来事などが明らかにされたり、といった様々な情況証拠を伴う「面談」の事例は非常に多い。
しかし、懐疑的な人々は、さらに疑義を発する。霊媒が雑談でそれとなく聞き出しておいたことを、死者からのメッセージのように見せかけて語るというペテンもありえる(事実そういうことを行なったことがあると告白した霊媒もいる)。また、霊媒が通常の仕方で(本や新聞などで)その情報を入手できたという可能性もある。
これらを実証的に棄却するのは、たいへんな手続きを要する。ある人間がある経験を「していない」ということを「実証」するためには、その人間の全過去を洗い出して検証しなければならず、理論的には不可能となる。上記の「会話」の場合も、パイパー夫人がその場所に行ったことはありえないし、またその場所のことをドール氏を始めとする誰からも聞いたことがありえないが、それを「完璧に」証明することは、ほとんど不可能であろう(ただし、そうした状況証拠をすべて「虚偽」とすると、裁判などはほぼ不可能になるだろう)。
しかし、こうした疑義を吹き飛ばしてしまうような事例も存在する。一つは、「飛び入り交信者」という事例、もう一つは「交差通信」である。
「飛び入り交信者」(drop-in comunicator)とは、そこにいる人々(霊媒も含む)がまったく知らず、また知ることも不可能な死者がメッセージを伝えるというもので、その内容を後に調査したところ、事実と符合したという事例がいくつかある。その一つをF・マイヤーズの大著『人間個性とその死後存続』から要約して紹介する。
《ロシアのタンボフ県の大地主で、貴族であるM・A・ナルツェフ氏は、伯母と召使の女性、そして県の公認外科医トゥルーチェフ氏という四人のメンバーで、テーブル交霊会を行なっていた。一八八七年十一月十八日、メンバーがほとんど闇の、閉ざされた部屋で、テーブルに手を置いていると、何かを叩くような音が床で響き、壁、天井へと伝わった。音はすぐにテーブルの中心で激しく鳴り出したので、ナルツェフ氏は、音に向かって、イエスなら三回、ノーなら一回で答えよと言うと、音は三回鳴り、交信が始まった。アルファベットが読み上げられ、音は目指している文字のところで三回鳴るというやり方で、交信者の名前がつづり出された。その存在はアナスタジー・ペレリギーヌと名乗り、「わたしはみじめな人間です。わたしのために祈ってください。わたしは昨日、病院で死にました。おととい、マッチを呑んで自殺しようとしたのです」と述べた。
「もっと詳しいことを教えてほしい。何歳ですか。音で示してください」
十七回音が鳴った。
「あなたは誰ですか」
「わたしは召使でした。マッチを呑んで服毒自殺したのです」
「なんでそんなことをしたのですか」
「それは言えません。これ以上は言えません」
突然、壁際にあった重いテーブルが、一同の囲んでいるテーブルの方に引き寄せられ、また元に戻り、これが三回繰り返された。それがどういう意味なのか、誰にもわからなかった。交霊会の終わりを告げる七回の叩音が壁で鳴り、午後十時から始まった会は十一時二十分に終了した。
このアナスタジーという女性について、臨席者は誰も知らなかった。県の公認外科医であったトゥルーチェフ氏は、自殺などがあった場合、警察から報告を受ける役職にあったが、アナスタジーという報告はなかったため、当初この交信を信じなかった。しかし、念のため、県の唯一の病院に、事情を伏せて、「この数日自殺者があったかどうか、あった場合はその詳細を教えてほしい」との依頼状を書いたところ、病院の外科医長であったスンドブラット氏は次のような返信を送ってきた。
「自殺とおぼしい患者は二人あり、一人は、コソヴィッチという女性……もう一人はアナスタジー・ペレリギーヌという名で、年齢は十七歳、一箱分のマッチ(黄リン)とコップ一杯の灯油を呑んでいた。十六日午後十時に運ばれてきて、十七日午前一時に死亡。解剖は十九日に行なわれた。ペレリギーヌは自殺の理由については述べなかった。」》
これはロシアの超常現象研究の先駆者アクサコフが調査したもので、調査報告には「虚偽は述べていない」という参加者たちの署名がなされている[Myers, 1954, vol.2. pp.471-3]。
このケースではアナスタジーは死亡から四十五時間後に、誰も知り合いではないメンバーによる交霊会に「飛び入り」をしたことになる。死後存続を認めない立場から言えば、交霊会のメンバーの誰かが、知りもしない病院外科部長(ないしは医療スタッフ)の心に無意識に働きかけ、そこからアナスタジーの情報を引き出して、さらに無意識のうちに、念力によって物理的心霊現象を起こし、あたかも死者が語ったかのように演出しながら、それを明かしてみせた、ということになる。あるいは、アナスタジーは死亡宣告から四十五時間後も仮死状態で生きていて、テレパシーによって交霊会の開催を知り、念力によってそこで自らの告白をした、という説明もあるかもしれない。しかしそうした説明が説得力があるかどうかはかなり疑問であろう。

もう一つの「交差通信」(cross correspondence)とは、相互に関係のない複数の霊媒が、ある霊からのメッセージの断片を受け取り、それをつなぎ合わせると一つの全体的メッセージとなる、というパズルのようなものである。きわめて入り組んでいるので、具体的に、美しいケースを紹介する。
《一九〇一年、ヴェロール夫人とその娘、さらにホランド夫人という、三人の霊媒は、自動書記で、二十六年前に死去したメアリー・リトルトンという霊から、アーサー・バルフォアという人物に宛てたメッセージを相次いで受け取った。メッセージの内容は、「自分は死の後も生きている、そしてアーサーを愛し続けている」というものだった。
三人の霊媒と面識がなく、人づてにメッセージを受け取ったアーサーは、恋人メアリーの死を悼んで独身を保ち、命日には死者の妹とともに追憶の一日を過ごしていたものの、スピリチュアリズムには賛同せず、メッセージの真実性も認めようとはしなかった。しかし、三人の霊媒を通しての筆記通信はさらに続き、そこには「棕櫚の乙女」「髪の毛」「紫のもの」「金属の小箱」「ペリウィンクル(花の名)」といった暗号めいた言葉や、燭台と蝋燭の絵などが、一見意味不明のまま書かれるようになった。このメッセージは十余年にわたって続いた。
そして一九一六年、アーサーは、ウィレット夫人という霊媒から交霊会に参加するよう強く要請を受け、それに出席した。その場で、メアリーを名乗る霊から、これまで綴り出された通信にちりばめられていた意味不明の断片的な言葉や絵について、説明がなされた。自分は「棕櫚の日曜日(キリスト教の聖日の名前)」に死んだこと、アーサーは恋人の遺髪を、紫色の縁取りがされ、ペリウィンクルなどの花を彫った銀の小箱に納めていること、蝋燭の灯った燭台を手にしている彼女の写真を、大切に秘蔵していること……。すべてが事実と符合した。これによってアーサーは、メアリーの死後存続を確信した。
ちなみに、このアーサー・バルフォアは、イギリスの首相を務めた人物であり、このケースは、様々な研究者によって調査され、トリックは発見できなかったという結論が出ている。》[ピクネット、一九九四年、五八一~五八三頁より要約]
このケースをテレパシーといった概念で説明することはほぼ不可能であろう。霊媒が知り合いでもないアーサーの記憶を読み取り、それを同時に別の霊媒が読み取って、といった、きわめて複雑な説明になってしまう。それよりは死後のメアリーの意志と介入を認める方が、はるかに合理的であろう。

しかし、こうした「証明」の試みにもかかわらず、「死後存続」問題は「未決着」ないしは「却下」という状態は変わらなかった。