26-マイヤーズ通信による「高次霊界」の様相

スピリチュアリズム霊学では、死後多くの魂が赴くのは、地上に似た、しかしはるかに美しく素晴らしい世界であるとする。そして魂はそこで地上体験を省察し、充分なし得なかった活動をし、グループの魂と様々な交流をしたりした後、さらなる成長を求めて、「上か下」へ旅立つのである。
スピリチュアリズム霊学の最も大きな特徴は、この「上」の世界に関する情報であろう。これまでの宗教は、超越世界に関して、比較的単純に「天国」「天」「浄土」といった概念しか持っていなかった。しかし、スピリチュアリズムは当初(アメリカでの勃興期)から、かなり多数の「階層的霊界」について述べてきた。
ただし、様々な霊信において、その階層の区分はまちまちだった。A・J・デイヴィスやロバート・ヘアは地上を含めて七つの界があるとしているし[レナード、一九八五年、二七八、二八三頁]、インペレーターは霊界は大きく三つに分かれ、その中に各七つの境域があるので全体で二一になると述べている[霊訓、四五頁]。カルデックでは「霊魂の段階」を「大きく三つ」と述べ[霊の書、四七頁]、マイヤーズ通信は四つの霊的世界とそれを超えた絶対界について論じている。シルバー・バーチは高低の層はあるとしているが、厳密な区切りはないと述べている[バーチ④、一二七頁、同⑦、一九五頁]。こうした違いは霊信の信憑性を損なうものと考える人もいるが、「階層」は物理的な空間ではなく、霊魂の発達レベルであるから、見方によって様々な区分けができる(細分化しようとすればいくらでも細かくもなる)ということのようである。
ここでは、マイヤーズ通信によって、より高い霊的世界のありようを概観してみたい。この霊信は、きわめて哲学的にそれを論じているし、そこで説かれる高次霊界のありようは、霊魂の本質論にとっても示唆深いものと思われるからである。ただし、マイヤーズ自身が述べているように、この区分けや説明は絶対的なものではない。

マイヤーズは、「常夏の国(幻想界)」と地上との往復を卒業すると、もう一つ上の「形相界」と呼ぶ界に行くと述べる。マイヤーズ自身はこの世界まで行っており、それ以上の界は、「主観的状態」で行ったり、さらに先へ進んだ「仲間」から情報収集したと述べている。それによると、霊界は以下のような階層になっている。
(1)幻想界(the Plane of Illusion)
(2)形相界(the Plane of Eidos)
(3)火焔界(the Plane of Flame)
(4)光明界(the Plane of Light)
そしてその彼方に究極の「彼岸(Out Yonder)」が開けるという。
なお、各界の間には、地上から幻想界へ到るのと同様に、「死」と「中間的移行プロセス」がある。また、それぞれの界においては、固有の物質性とそれに依拠した霊的身体があるとも伝えている【28】。

「幻想世界(常夏の国)」の上にある「形相界」は、霊的知覚と想像力が増大し、形相の創造が行なわれる世界であり、地上世界の源泉となる「限りない色彩と音の世界」である。そしてここで魂は類魂の存在に気づくという。この境域は「地上にある間の魂がこの世について知ることは極めて稀であり、最も高度な神秘的トランスの状態においてさえも、そこを超えることはなかった」と言う[不滅への道、九一頁]。通常の生まれ変わりを繰り返す魂は、この世界を知らないというのである。
《肉体の制約から自由になった魂は今までよりも大きな精神力を持つようになり、自分の好みにあった記憶世界を選べる……。》[不滅への道、四一頁]
《知力が増大するので形態を統御することができ、またそれに生命を吹き込むことができる。彫刻家が形のない土くれを取ってきてそれに形態を与えるように、あなた方の心が形態に生命と光を引き寄せ、想像のままに環境を形造る。》[同、四六頁])
《そこは地上世界の源となる世界であることに気づくであろう。簡単に言えば、地上とは精妙な身体に精妙な魂の宿るこの世界の、醜く汚れた模写図である。……そこには例えば花もあるのだが、その形は異なり、その色彩は目も覚めるような光輝を放っている。その色も輝きも地上の色域や波長の中にはないもので、筆にも言葉にも尽くせぬものである。》[同、六三頁]
《しかしながら、この意識界の魂も、争いもすれば仕事もする。地上のものとは違うが、悲しみもあれば喜びの陶酔もある。ここでの悲しみや陶酔は霊的な性質のものである。》[同、六四頁]
《魂は形態(form)の統御法を学び、それとともにあらゆる物的存在の虚構であることを無数の経験から学習するのである。……精神が直接に形態の中に自己表現しようとするので、形態が猛烈に振動している。……この広大な世界の外観は途方もなく巨大で……恐ろしくもなれば優美にもなる……。それは地上の環境に比べてはるかに流動的で、明らかに個体性が少ない。……かつて味わった苦痛と快楽、歓喜と絶望を再び経験する……。再びとはいっても、それらは地上におけるものよりはるかに上質で知的なものである。……この光に満ちた世界における闘争は激しさも更であり、そこで費やされる努力も地上の計量を越えている。つづめて言えば、すべての経験は洗練され、高められ、強められ、生存への生々しい熱情が限りもなく増大しているのである。》[同、六五~六七頁]
《形相界に進み純粋形相の世界に自覚的に生きるようになると、彼は次第に目に見えるような形や個性的表現をとらなくなる。》[人間個性を超えて、一二三頁]

さらにその世界を卒業すると、「火焔界」へと入る。そこは「形相の超脱」「他魂との感情的融合」がなされ、「生存の目的を知る」境域だという。
《魂は、永遠の絨毯の中に自己の本霊が織りなしつつある図柄に気づき、同じ霊の中に養われている同類の魂たちの感情生活を知悉する。》[不滅への道、三六頁]
《類魂内での精神的知的経験をする時期であり、それと共に類魂内において同じ本霊に養われる様々な魂たちのこれまでのあらゆる段階の経験を知り尽くす――ただし、これは感情的な思考作用の上で知るのみである。》[同、三九頁]
《これまでの静寂は打ち破られ、霊的嵐が舞い起こる。……魂はここでは他の魂と感情的に結ばれた全体となっており、孤立せず、グループの中の他の魂を実感できる存在となっている……。自己は自己であり続けながら、同時に他者のすべてでもある。彼の仲間たちの過去の感情、情熱、知的表現形式などがこの感情的思考の輪郭をつくりあげているのであるが、この輪郭こそこの巨大な力ある存在を燃え立たせ、突き動かしている火なのである。……彼は、実際火焔が燃えるような一生を送る。それは激しい修練の時であるが、また知的な感情がすこぶる増大する時でもある。大いなる制限と限りない自由、そしてまた果てしない地平がちらりと見える時でもある。……彼は一つの本霊の光に浴しながら、そこにたどりつくまでの様々な段階にいる仲間の魂たちの知的、情的生活を楽しんでいるのである。……彼は天国を実感しつつあるが、最後の謎はまだ解き明かされず、彼自身一役を担っている宇宙計画の完成を待ち続けている状態なのである。……類魂が完成し、永遠の織物に織り込まれる模様に必要な他の魂たちがこの同じ意識のレベルまで到達するまでは、次の世界に向けて出発しないでいる。……濃密な物質世界にいる彼の仲間の幼稚な感情生活に気づくのである。……本霊にとっての経験は、類魂独自の模様の完成に必要な魂がすべてこの界にたどりついた時に完全なものとなる。》[同、七九~八二頁]
《火焔界での大事業は、心霊族(Psychic Tribe)の中での自己の発展であろう。……そこには、高次の存在のレヴェルでわれわれと結び、関わりをもち、融合調和しようとする他の系統の存在者をすべて含むものである。》[人間個性を超えて、一二五頁]
《愛と力と叡智のこの三つは神聖ハイアラーキー(Divine Hierarchy)から放射される推進力であり、宇宙霊流であり、それらは神の使いとして地球星を導いている。/このハイアラーキーは多くの類魂団からなり、火焔界から生命を支配し組織し計画の細部に至るまで責任をもつ。》[同、一三二頁]
なお、この火焔界での第一歩は「恒星への転生」という形を取ると言われている。こうした「他の天体」問題は後に触れる。

その上は「光明界」となる。そこは「純粋理性の世界」「神の純粋思想として生きる」世界であり、類魂・本霊との一体化がなされる。このあたりはもう言葉によっては示唆することさえ不可能のようである。
《魂が同じ類魂内の前生にあたるすべての魂たちについて知的に把握する。さらには世界魂ないし地球魂がその身体のうちで経験するすべての感情生活に通暁する。》[不滅への道、三六頁]
《純粋理性が君臨している。御存じの感情とか情熱とかはここにはない。……彼らは形態の持つ叡知、計り知れない秘密の叡知を身に付けている。それらは無際限の年月にわたる不自由な生活を通して集められ、獲得されたもので、無数の形態のもとに過ごしたこれまでの人生の総決算である。……彼らはもはや形態なしで生き、白光として存在し、〈創造者〉の純粋思想として生きることができる。彼らは不滅の中に参入したのである。/光明界の存在目的は「多者が一者に同化すること」と言い表わしうるかもしれない。すなわち、私が魂と呼んでいる精神の単位全体が本霊の下に統一されることである。この目的が完遂されると本霊は個的な生命をその中に抱え込んで彼岸に渡り、宇宙神秘の中に融け込む。そしてそこで最後の目的たる〈至高精神〉としての進化をなし遂げる。》[同、八三~八四頁]

こうした霊界(霊的レベル)のさらに上に、絶対の世界、神の領域があるという。そこは「真の実在」「霊的なものの大源泉」「宇宙の外」である。
《本霊とその様々の現われである魂は、揃って至高精神たる神の想像力の中に入り込む。……ここにこそ生成持続する完全なる意識、つまり真の実在があるのである。》[不滅への道、三七頁]
《無時間の中に入っていき、あらゆる生命の背後にあるイデア、つまり神と一体になる。もっと具体的に言えば、あらゆる階層の世界でいつも結びついていた神の霊のある部分と一体になるのである。》[同、四〇頁]
《彼岸に渡った霊たちは……形態はなくとも物質宇宙全体と接触を保つ。そのことによって霊的知的次元における信じ難い活動を行なうのである。なぜなら彼らは今や無限の〈神秘劇〉に参画しているのである。つまり真の涅槃、最高のキリスト教天国にいるのであり、また物質宇宙のアルファとオメガを知り、かつ経験する。あらゆる天体の記録と地球の歴史は一部始終彼らの手中にある。》(60)
《霊は物質宇宙から離れてはいるが、その光は広く行き渡り、永遠のしじまを支配している。宇宙の一部であってしかもそこから離れていること、これがおそらく最後の仕事であり、あらゆる努力の終着点である。》[同、八三~八四頁]
《われわれは第七界において、〈最高観念〉(Supreme Idea)と一体化する時にのみ宇宙の真の現実を知るのである。魂と霊とが宇宙と融合し、解き放たれ、〈純粋知性〉の無限の自由の中に住むようになれば、その時宇宙は現実のものとなる。……われわれが消滅してしまったというわけではない。われわれは、大精神の偉大なる調和の下では一つとなっており、また創造者の創造物への恵みの下では個人として存在する。》[同、八九頁]

もちろんこうした言説は、まったく実証性はないし、仮にある程度真実を伝えるものだとしても、すぐ上の霊界と地上とを往復しているわれわれ通常の魂には、幼稚園児に国家システムを説明しているようなものだろう。
しかし、魂はこれほどの成長の旅を続けなければならない(あるいは続けることができる、と言ってもいい)ということは心に留めておく必要があるかもしれない。すぐに「究極の天国」や「絶対との合一」などを考えるのはあまりに虫が良すぎるということである。
また、これらの描写を通して、霊魂というものの本質に関して、おぼろげではあるが深い示唆が得られるとも思える。
まず第一に、全宇宙は、根源的な霊ないしイデアが様々な段階の形態的表現に投影されて展開しているということ。そして魂はその一分子として粗雑な段階から精妙な段階へと成長していくということ。これはイデアとエイドスというプラトン哲学の延長とも言えるが、エイドスの複雑な階層的展開が加味されている。「神は無慮無数の世界と宇宙の背後に控えるイデアなのである」[同、一六〇頁]。「霊の進化は幾多の制約を忍びつつ、また形態的表現を繰り返すことによって達成される」[同、三三頁]。
第二に、高次の存在形態になればなるほど、個のモナド性は打ち破られ、他魂との親和性の上に活動範囲を拡大していくということ。形相界では魂は目に見える形や個性的表現を取らなくなる。火焔界では類魂全体の感情生活を知悉し、光明界では類魂・本霊との一体化が達成される。つまり霊魂は高度になればなるほど、他者との親和性・共感性が増していくということである。「霊にとっての統一原理とは、たえず大きな調和、言い換えれば、より大きな統一体を生み出そうという傾向なのである。様々な個体はだんだんと混じり合い、経験と心において一つになり、やがて夢にも思わざるほどの巨大な知力の次元を達成するのである」[同、五九頁]
第三は、高次の霊は、自分より下の霊を導く責務があるということ。光明界で本霊は「魂と呼んでいる精神の単位全体が本霊の下に統一される」のを待ち、「個的な生命をその中に抱え込んで彼岸に渡る」と言う(これは浄土仏教にある、全衆生が成仏しない限り自分も成仏しないと誓った「弥陀の誓願」を思わせる)。類魂のところで述べたように、われわれすべての魂は、この本霊の下に養われ、導きを受けている。進化した存在は遅れている存在を支援するのである。
第四は、知性・感情・想像力・創造性といったものが、高次の霊的活動においても重要であるということである。特に「感情」は、通常、理性や徳性を侵害するものというように見られがちであるが、マイヤーズはその働きは火焔界という高次世界に到るまでも重要な役割を果たすとしている。
こうしたことは、スピリチュアリズムが説く道徳的奨めとも深く関連している。魂は形態的表現を通して成長するということは、この地上の物質的形態も、軽蔑することなく、十全に追究せよという教えとなる。スピリチュアリズムは過激な禁欲や現世否定主義を取らない。地上世界は確かに鈍重で魂を窒息させる面もあるが、そうした形態表現も魂の成長に重要なものだと捉えるのである。
また、高次の霊になればなるほど、他者との親和性・共感性が増し、また未熟な魂を導く働きをするというのは、愛と奉仕の原理である。
知性・感情・想像力・創造性などの重視は、人間の精神活動を鍛錬することが、霊的成長に必要であるということになる。精神活動を死滅させることが解脱への道ではなく、それを多様に開花させることが重要だというのである。マイヤーズは次のようにも言う。「創造の本能は人間本性の最も本質的な部分である。それに賢明な表現を与えることこそ、まず第一になすべきことである」[同、一五八頁]。

【28】――なお、マイヤーズは地上を第一界、死後の中間的移行領域を第二界としているために、彼岸を含めて「七つ」と表現している。混乱を避けるために、以下の引用では原文の第○界はすべて固有の名前に変えてある。